2019年7月10日水曜日

私の人生、が見えて来たか

JA8DES読み方を変えると「じゃあエイッとDeath」かい。
昨年12月インフルエンザをこじらせて、近所のクリニックから救急車に乗せられて大きな病院に搬送された。妻も同時に罹患して同日別の病院に入院した。
熱は41℃を越え肺炎を起こしていた。3日間点滴を受け続け眠り込んでいた。
ほとんど意識はなく悪夢を見続けていた。
喉から溢れそうになるくらい赤茶色の痰が出続け、数日後に痰からぶどう状球菌が検出され個室に隔離された。
レントゲンとCTの検査で肺の中は蜘蛛の巣が張ったように白くなっていた。
病名は「間質性肺炎」、進行すると確たる治療法が無く、4〜5年で死に至るという事を後から知った。
退院後は体を動かすだけで呼吸が苦しく、階段も登れなかった。
家は雪で閉ざされ、除雪は友人や兄弟の世話になった。
春近くになるとカーポートの屋根の雪は1m以上に固まり、金属の梁がたわんで来た。
隣の市に住む友人親子が屋根の雪降ろしてくれ、重さの限界でぐらつくカーポートは倒壊を免れた。

あれから半年を越え肺の繊維化は進行していないが、毎日ステロイド薬を服用しているので顔はむくみ、猪のような風貌になっている。
セカンドオピニオンの病院長にも画像データを読みとってもらった。
「あの肺炎でよく生きて帰れたね」「おお1年前に肺繊維症だったんだ」
何という事か、「肺繊維症」がどういう事を意味しているかを知ってはいなかった。
なってしまった事はしょうがない、残りの命を大切にしよう。
車を運転出来る、遠くへも行ける、工作も出来る。
疲労し易くなっているので体と摺り合わせしながらやれる事をやって行こう。



0 件のコメント:

コメントを投稿